先週お休みしましたが、今週水曜日はいつもどおり20時からLIVEで #クソすば やります!明日は独り語り🍵
ここ最近の独り語りは、何となく「戦後民主主義」を生きてきた私たちがかけている色眼鏡や刷り込まれた思考様式を一回離れて、実は同じ日本人がもっと自由に発想していたときがあったんじゃないか?一体どこでそれが失われ(又は弱体化し)たのかを探る旅でした。私擬憲法、民権運動、そして音楽文化の導入や戦後再軍備のときの学者たちの議論、それらはとても自由かつ真摯なものでした。
いつから何かを語るときには「こうすべき」「考えるべき」という作法に捉われ、作法マウント合戦に巻き込まれる言論空間になってしまったんでしょうか。
このことを考える上で、やはり「日本的」保守/リベラル論は避けて通れないでしょう。
これらが対立関係なのか云々という意味では、もうこの枠組み自体が無意味なのではないかという考えもありますが、一方で、日本においてこの保守/リベラルが存在したのか、するのか、しないのであればそれはなぜか、などを再度問い直すことには意味があります。
宇野重規先生の近刊『日本の保守とリベラル』が、大変面白いとともに、日本における保守リベラル問題を考える上では現在の到達点の一つであることは間違いないので、宇野先生のご著書を補助線に、
・そもそも保守主義とは?そもそもリベラリズムとは?
・日本において保守主義とリベラリズムは存在したのか
・日本的な保守/リベラルにとってのターニングポイントはどこか
・憲法はこの枠組みとどういう関係にあるのか
などを独断と偏見で話したいと思います。27日の道場の自分的前整理でもあります💡予習としても、是非!
私がこの問題をしつこく語るのは、そもそも、保守とかリベラルとかいう思想は、「これを語るのは無駄」といった発想自体を拒否する、常に思考し続けるためのエンジンであることはともに共通した思想であると確信しているからです。
明日20時!顔が死んでいる日焼けしすぎ弁護士と握手👋
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